【開校への想い①】やればできるよ!
おはようございます!
さいたま市北区か、大宮区で高校受験専門の塾を開校予定の【龍桜義塾】です。
開校するにあたって、
ボクは週5(授業・自学セット)通塾を基本にしたい。
ただ、人間は想像性が豊かないきものだから
週5も塾だとキツそう。
週5も勉強するのツラそう。
そんなにやり過ぎて勉強がキライになってしまうかもしれない。
と、感じるかもしれない。
しかし、
学校・部活が終わったあと週5で通う塾は、実は全国にあって、
その多くが、とても凄い進学実績をもっているのだ。
普通の塾が、50分×2コマ×週3日×4週……1ヶ月50時間(しかも科目・コマ増減可なのでこれ以下になる場合有)
に対して、
50分×3コマ×週5日×4週……1ヶ月で125時間を勉強に費やせるからね。
パクるんか
そうだけど、“強い想い”もあるんよ。これがなかったら自分で塾なんかやらないって。
開校すぐには、無理かもしれない。
けれども、
ボクは将来的に『龍桜義塾』を大宮高校・浦和高校・浦和一女・市立浦和など
上位公立高校専門塾にしたい!
そう夢見ながら、いま動いている。
ボクの“熱い想い”。
いくつかが複雑に絡まっているので――今日は1つだけ紹介したいと思う。
それは、
人間の思考基準は【環境】で決まる!
そして【環境】に救われることもある!
だから、より高いレベルの高校・大学(環境)に進学しよう!
――という想いである。
いま明かされる過去
だれ?
高校に入りたてのボクだよ
とても可愛らしく、
そして初々しい。
某私立進学校に入りたてのボクは「いよいよ高校生だ(ワクワク」「友達100人できるかな♪」と興奮と緊張の入り混じった面持ちである。
その4ヶ月後……
こうなる。
なにがあった!?
すべての負の歯車が、ガチッと嚙み合ったんよ
御多分に漏れず、ボクも受験が終わった1月下旬~4月まで
遊びに遊んで遊び尽くしたのである。
毎日ゲームはするし、夜中に家を抜け出して友人と公園や中学校に集まって語り合ったりしたし、2日に1回はカラオケ行ったし、当時付き合っていた彼女とディズニー行ったし、ほぼ毎日クレアモールに友達や彼女とたむろして、ゲーセン行ったり、スケボーしたり……etc
もうとにかく遊んでいた。
遊びに遊び倒した。
そんなボクを両親も許していた。
「今まで受験勉強がんばってたから……少しぐらいは」という気持ちだったのだろう。
そして4月。
高校の授業が開始されたスグだった。
――まったく理解できない。
話している内容が、別の言語に聞こえた。
サッパリ意味がわからない。
サインってなんだ?コサインってなんだ?SVOOって何だ?記号か?
ポルトガル語で落語を聴いている感じだ。先生の言うことが、1ミリも脳に刻まれない。ただただ、必死でノートを書き写す。しかしそのノートに書かれた内容も、インダス文字のごとく解読はできなかった。
いったいオレは今なにをしているんだ。
なにか頭の悪い病気になったのではないか。
――と、親指の爪を噛みながら、西野カナのように震えている毎日だった。
こうして、高校開始早々に落ちこぼれた少年は
授業を聞くのを諦め、ノートを取ることを諦め、学校に行くのをやめ、
少年Rとなった。
イカツい!
♪オレはSAITAMA生まれHIPHOP育ち♪悪そうなヤツはだいたいトモダチ♪
今は知らないが、当時わが母校は「出席日数が1/3ならセーフ」だったので、計算して行きたくない日は仮病をつかって休んでいた。そして、一人暮らしをしている友人や彼女の家へ上がり込み、ギターを弾いたりゲームをしたり漫画を読んでいたりした。どうしても行かねばならぬ日は、昼休みまで遅刻して五時間目から出席したりもしていた。
昼夜問わず、地元や池袋、渋谷、新宿を転々として友人とフラフラ遊びまわり
とうとう高2のとき――河合模試で『総合偏差値30』という名誉ある称号を得るに至ったのである。
まー、ワイ、将来MC(ラッパー)になるか、バンドでボーカルやるから大学とかいかねえし!wwwwwwwwwwwwww
こいつはダメだな
今すぐタイムマシンで戻って馬乗りでボコしたいよな
しかし、
その年の秋が終わりかけた頃
――状況が一変する。
なんと、
今まで一緒に遊んでいた友人たちが、一斉に予備校に通いだしたのだ。
ま、マジかよ……
「や、さすがに大学は行っておかなきゃヤバいっしょ?」
眉毛が無く、耳に大きなピアスの穴が開いたヤツ(友人)が煙と一緒に放った言葉が、残響のようにボクの頭の中で何度も繰り返された。
「大学は行っておかなきゃヤバい」
もうお気づきだろうか?
そう。あれだけ遊びまくっていたとしても……一応は進学校の生徒だったのである。
つまり、
『環境』
進学高校、という『環境』。
高校生活を青春思い出作りに全振りしていたヤンチャな子たちでも、
その周囲にいた真面目な子たちや教師の作り出す“大学受験”という『空気』には抗えず、ガッチリと染まっていったのだ。
正直、ボクはコレに大きく大きく救われた。
この『環境』の作り出す『空気』が、波紋のようにボクにも伝わったからだ。
もし、ボクがこの進学高校に入らず2つ、3つ下の高校に入っていたら、と考えると……背筋が凍る。
誤解をして欲しくないのは、
高い偏差値の高校に行くから良い人生になり、低い偏差値の高校にいくから悪い人生になる、という話ではない。
勉強面以外で優れた結果を出している人もいるので、勉強ができるから自分は偉いのだと勘違いをしてほしくもない。
しかし、
人間の思考基準は【環境】で決まり、
そして、その【環境】に救われることもあるのだ。
ボクは高校2年の秋に、身をもって体験したのである。
だから、いけるなら、より高いレベルの高校に進学して欲しい。
そして、
周囲から自分の思考の基準を高めてもらい、メチャクチャ勉強して、あらゆる可能性を模索して、問題を解決できる人間となり、余力で誰かを助けてあげて欲しいのだ。人を助けるにはエネルギー・マネー・技術・知識がいる。それを、勉強を通して蓄えて欲しい。
これが、ボクが自分の塾――【龍桜義塾】を開校する想いの一つである。
さて、
ど、どうしよう……オレは音楽で……でも、大学に行かないと……
あっさりと周りの空気に流される少年R。
しかし、彼の頭の戦闘能力はたったの30。
“weather”という単語の意味が、マジでわからないレベルだった。
残された時間は約400日。
しかし、このポンコツが……
400日後――一般入試で青山学院大学文学部に現役合格する、という大逆転劇を見せる。
どんな子でも
やればできるのだ。
まとめ